ブログ

受け皿になる推し

<

推しがいよいよ被災地への手助けになればと具体的な行動を起こしました。

震災被災者への義援金を募る

震災があってからずっと被災地の事を気にかけていた推し。

ようやく少しでも行動に移せて推しも救われるのではと思う。

無力っていうのは…私的にも辛い。

テレビやSNSでは「募金した!」っていう情報が溢れている。

推しはそういう発信はしたくない派らしい。

私もどっちかとういとそっち。

仕事も「やってます!」アピールは嫌いなので、仕事をやっていないように仕事の内容を理解していない人に見られがち?

そういえばパワハラ上司はいつも人目を気にしてたし、それだからだろうが私に「そんなんじゃ周りからやってるように見えない」とよく言っていた。

私的にはやってることはやってるし、なんで周りにアピールしなきゃいけないの?目的がやってるアピールになってない?とそりが合わなかった。

推しは発言はしていないが、既に個人的に義援金を被災地に送っていたのだと想像する。

でも、いろんな人の話を聞いて義援金を贈ることを情報発信していく決断に至ったという。

私もそれに賛同する。

義援金で何が出来る?

義援金がどう使われるのが被災者のためになるのか正直よくわからない。

被災者の今置かれている状況や性別や年齢によってもその時必要なものは違うし、みんなを平等に助けるのは不可能だと思う。

的を絞って注力して助けられる人、助けたい人を支援することが効果が大きいのではと思うが、被災者の中に格差を作るのも支援を受けた人の立場が危うくなるのではと考えたり。

支援って奥深く難しく、長期にわたって継続していかなければ意味がない事なので、東日本大震災やそれ以前やそれ以外の災害の被災者がいることも忘れてはいけないのだと思う。

個人で物理的にやれることはほんと限られてると感じた。

世の中を救う方法

定期的に来てくれる水道屋さん。

今日来てくれていつもの雑談。

日本の農薬等の安全基準は世界に比べて緩いから注意したほうがいい、とか日常会話やテレビでは話が聞けないジャンルの話が聞けて私的にはわりと楽しい。

私もどっちかというとそっち系?

今日は今年は新年から色々災難が続くがこれは新たな世界の始まりだ!的な話。

聞いてると、私が最近よく聞く日月神示の話と似通っている。

やっぱり私もそっち系?

被災者の話になり、「被災者のために現地に赴いてボランティア活動をしたり募金したりするだけが人のためになる事じゃない、自分がやりたいことをやる人生を送って楽しい!と思うことが世の中を明るく照らすんだよ!」みたいな事を言っていた。

私の推したちはまさにそんな感じで私を前向きにモチベーションを上げてくれる。

もし、そんな推しが急にやりたい事を我慢して必死に頑張って世の中の為に尽くすんだ!って感じに変貌しちゃったら…なんかこっちもプレッシャーになって気持ちもどんより重くなりそう。

やっぱり、推し達には今まで通り、誰にも媚びずに、やりたい!と思ったことをやって楽しい!っていう姿を見せ続けて欲しい。

楽しい!という発信には何か心を癒す力が宿ってると最近よく思う。

私も将来を担ってくれる子供達にやりたい事をやって「楽しい!」親の姿を見せて将来に希望を与えようと毎日やりたい事を頑張っている。

いや、ただ楽しい事を追い求めてるだけ。

金と時間がもっと欲しい。

「がんばれ」はちょっと違う気がする

推しが早速義援金を集める様子をSNSに上げていた。

いいことではあると思うのだけども、どうしても気になることがあった。

「がんばれ!」という言葉を掲げていること。

「がんばれ!」は、私は受け入れられない。

もう既に被災者は頑張っていると思う。

それなのに更に「がんばれ!」は…酷だ。

例えるならパワハラモラハラを受けつつ必死で働いている人に、もっと「がんばれ!」って言ってるのをイメージ。

応援したい気持ちは理解するけど、ハラスメントな気もする。

さっき聞いた動画。

正直、安易にかける言葉が見当たらない。

無理に支援するべきだとも言えない。

言葉は見つからないが、気持ちは寄り添ってるから無理しすぎないで欲しいということは伝えたい。

そこらへんの被災者の心情は推しはよく解っていると思う。

個人プレーではなくチームプレーというのは難しい。

この活動だけで満足せずに注視し続けて風化させてはならない。